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またまた妙なことに気が付いてしまった。理科の教科書では地球上の重力は、地球の引力から自転による遠心力を引いた力であると説明されている。測地学での説明はこうだ。
「地上における重力 (重力加速度) は, 地球構成物質による万有引力 (引力) , 地球の自転による遠心力, 月や太陽から受ける潮汐力などの影響を受けている. 」
地上における重力測定
しかし、よく考えると地球は太陽の周りを公転しているので、公転による遠心力も考慮されるべきだ。そこで、地球の公転による遠心力を計算してみた。計算はこのサイトを使った。
地球の公転半径、角速度は以下の通り。
149600000000m
0.0000019rpm
1kgの重りに対する遠心力は、0.0006kg重となる。ちなみに自転での遠心力は0.00344kg重だ。自転における遠心力の約17%が公転で起きている遠心力ということになる。1kgあたり、0.6gだ。しかも地球が太陽に向いている昼と夜とでは、遠心力の向きが逆になるので、重力に対する差は2倍ということになる。1.2g違うことになる。日本付近では、緯度が40度くらいなので、公転による遠心力は少し影響が減るが、このレベルは十分に計りで計測できるはずだ。
じっさい、地球の自転による遠心力は市販のデジタル計りでも校正されている。ところが、公転による遠心力も校正されているはず、と思って探したが見当たらない。
責任者出てこい!
おかしい、明らかにおかしいぞ! 公転による遠心力はどこにいったんだ?
ちなみに太陽系は銀河の中心から7.94kpc離れていて、約2億5千万年かけて1周している。この時の遠心力は1.586x10^-11kg重だ。接線速度は195.2km/sなので、観測ともほぼ合っている。この遠心力も計測可能なレベルだが、どこを探しても計測値はない。
以前、中性子のベータ崩壊はニュートリノが入射して電子をはじき出すというメカニズムを説明した。ベータ崩壊には陽電子を出すベータ+崩壊がある。
11C -> 11B + e(+) + ν
炭素11がホウ素11に変換される。この場合、原子核内部では陽子が中性子に替わっている。つまり、電子が1個追加された状態だ。対生成では電子と陽電子が発生する。原子核の近傍に強いガンマ線を打ち込むと対生成が起きる。ベータ+でも原子核内部で対生成が起きていると考えられる。電子と陽電子はなぜ一緒に発生するのだろうか?
ニュートリノは原子核を媒質にして伝わっていると考えられる。陽子に突入したニュートリノは陽子内部を衝撃波として通り抜けていく。
ところで、陽子同士が衝突するとそこに電子が生じる可能性を指摘した。
エネルギーの高いニュートリノが陽子に突入すると水玉に水滴が落ちたときのように、まず、陽子の表面が裏返って電子ができる。次に陽子からニュートリノが出ていくときに陽子の一部を引きずっていく。陽電子ができる。陽電子は反発力で飛び去るが、陽子内部に出来た電子は表面に移動して、原子核のほかの陽子をひきつけて結合する。
陽子同士を衝突させると中性子が発生する。
偏極陽子と原子核の衝突反応で大きな左右非対称性を発見
ムー3月号では、地球空洞崩壊を解説したが、磁場と重力はどうなっているんだという疑問をよく聞く。このブログや「電気的地球科学2」を読んでいる読者なら、理解できていると思うが、重力も磁場も、厚さ1500キロのマントル内部で発生している。
マントルの主成分であるカンラン石が相転移をして大量の電子を放出している。地下275km付近には蓄えられた電子が存在する。この電子が自転で回転することで、重力と磁場を同時に発生させているのだ。
電気的地球科学は地球の誕生から、その構造、磁場、重力の発生を矛盾なく説明している。興味のある人はこのブログの過去記事を読んでほしい。
2月7日発行の月刊ムー3月号の特集記事に「地球空洞崩壊!電気的宇宙論が解く超古代史の謎」が掲載されます。このブログでは触れなかった地球の歴史を説明しました。あっと驚く内容です。ぜひ読んでください。
1815年にベルギーのワーテルローで行われたイギリス、オランダの連合軍とフランス軍の戦いでは、非常に象徴的な戦闘があった。イギリスの小隊が装備していたベーカー銃が非常に戦果を挙げたのだ。ベーカー銃はフランス軍のマスケット銃に対して、筒の中にらせんが刻まれていた。ライフルだ。そのため、マスケット銃が数十メートル離れるとほとんど命中しないのに対して、ライフルのあるベーカー銃は100メートルを超える命中精度があった。フランス兵の銃弾が届かない距離でイギリス兵は敵を撃つことができたのだ。
ベーカー銃はすぐにイギリスのエンフィールド工廠で量産され、カナダに持ち込まれた。その後、現在と同じカートリッジ式に改造されて、スプリングフィールド銃へと進化する。
ベーカー銃
スプリングフィールド銃は南北戦争において北軍を勝利させた。南軍もスプリングフィールド銃と同程度のエンフィールド銃を装備していたが、安く大量に作れるスプリングフィールド銃は100万丁以上も生産され、兵に行きわたった。その余ったスプリングフィールド銃は日本にも大量に輸入された。幕府軍と薩長軍は、当時の最新式の銃で撃ちあったのだ。しかし、当初幕府軍はフランスを頼っていたため、先込め式のゲベール銃を使っていた。いっぽうの薩長軍はベーカー銃を改良した元込め式のミニエー銃だった。ミニエー銃を供給したのはイギリスと縁が深いグラバー商会だったかもしれない。この銃の差が幕府軍と薩長軍の勝敗を決したという見方もある。明治維新はワーテルローの戦いで薩長軍の勝利が決まっていたのだ。
ちなみに、薩摩藩に武器を購入できる大量の資金があったのは、琉球で行っていたサトウキビ栽培のおかげである。砂糖は薩摩藩の武士に脳の栄養を与えるだけでなく資金も与えていたわけだ。