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異常なほどの暖冬だが、昨日から日本列島が嵐になっている。そこで不思議な現象が起きているのを発見した。
見た通り、雨雲が山形県を避けて移動していく現象だ。じつは今年の冬は山形県には雪がほとんどないという異常な状態なのだ。電気的地球科学では、雨と地震は同じ電子が原因だ。そこで、微小地震をHI-NETで見ると、山形県ではほとんど地震が起きていないことがわかる。
雨雲は同じ雲が移動しているようにみえるが、実際はその場その場で地下から湧き出た電子により、常に雲が発生している状態なのではないか? そうでなければ、山形県だけを雨雲が避けている現象が説明できない。
別の雨雲レーダーで見ても山形県には雨雲がないことがわかる。
富士山は惑星規模の放電で、電流が地殻に流れ込んだ痕だと説明した。ちょうど、そのことを示す動画があった。溶接の解説動画だ。
この動画の中に出てくる溶接跡に大室山そっくりの画像があった。
これは赤色立体図での大室山(富士山に近いほう)
ところでメキシコのポポカテペトル火山の噴火の様子を見てほしい。噴火の瞬間、周囲に放電していることがわかる。従来は噴火は火山ガスの爆発と考えられていたが、これをみればマグマの持つ電荷が大気に対して放電していることがわかる。噴火も放電現象だった。
人が入れ替わることで社会が変わると書いた。一人の人間の考え方が途中で変わることはほとんどない。古い考え方を持つ人間が死んでいき、新しい考えを持つ人間が生まれてくることで社会は変わる。だが、新しい考え方が生まれてくる人間にすべて受け入れられるわけではない。古い考え方が生まれてくる人間を縛り付けるほうが多い。
「薔薇の名前」では新しい知識を否定する教会の権威が一つのテーマになっていた。現在を見ても普通の人間は保守的で古い大勢の考え方に同調しやすい。新しい考えが増えるためには人口増加が不可欠なのだ。
その点で日本はすでに著しい人口減少に追い込まれた。毎年50万人も減っているのは、かなり危機的だ。科学研究はある程度人口が多く、経済的余裕がないと進まない。現在の科学は貧困にあえいだ状態で研究はできない。中世に科学を探求したのが富裕層であり、貴族の宴会の余興で披露される奇術のようなものが科学実験だった。芸術と同じで科学も旦那衆が必要だ。
17世紀に起きた科学革命には伏線がある。12世紀のルネッサンスだ。このとき、馬の胸に当てる帯、胸帯が発明された。それまで畑を耕すスキを引くのはもっぱら牛の役目だった。背中に飛び出た肩甲骨に棒をあてがいスキを引かせた。牛よりも馬のほうが歩く速度が速いので馬にひかせればいいと思うだろうがそうはいかない。馬にはスキを引くための棒を当てる突起がない。首に輪をかけると首が閉まって馬は歩けなくなるのだ。
胸帯は馬にスキを引かせるための画期的な発明だった。畑を耕す速度が一気に数倍になったからだ。
農耕の効率化は農村部から都市部へと人口を移動させる役目も果たした。人手が余ったからだ。ちょうどこのころ、大航海時代が始まる。一攫千金を求めてヨーロッパから大量の人間が飛び出した。これが15世紀の新大陸発見につながる。
速水融の歴史人口学によれば、人口の圧力が社会を変える原動力となる。人口圧は新大陸に及んで、大量の砂糖生産が始まった。
11世紀には中国でも近代科学の萌芽があった。鄭和の大航海もあった。しかし中国では科学革命が起きなかった。原因は砂糖である。人間の脳は糖分を栄養源とするが、でんぷんから体内で糖を得るより、直接砂糖を摂取したほうが効率がいい。砂糖は人間の思考を働かせるために欠かせない栄養だ。中国ではつい最近まで砂糖が足りなくて、合成甘味料が使われていた。
15世紀末から新大陸で始まった砂糖生産は16世紀に大量にヨーロッパにもたらされた。砂糖を楽しむためイギリスはインドから紅茶を輸入した。大量の砂糖を入れたティーをふるまうサロンができた。サロンにはある程度金を持つ暇人が集まって、科学議論を戦わせることになる。人嫌いで変人のキャベンディッシュもティーサロンには来たという。
初めのころ砂糖は高価で貧民の口にはなかなか入らなかったが、18世紀には一般庶民にも豊富に供給された。産業革命で都市部に流入した農民は、安い貸し間で、朝食に砂糖のかすを食べて工場に出かけた。フランスでも砂糖菓子が流行した後、フランス革命が起きた。
人口の圧力に加え、食糧生産、砂糖の大量供給が科学革命と産業革命を進める原動力になったのだ。日本では江戸末期に薩摩藩が琉球でサトウキビ栽培に成功して、大量の砂糖を供給できるようになった。坂本龍馬はいつも懐に金平糖を持っていた。西郷隆盛の好物はウナギを甘いたれにつけて焼いたものだった。
社会が変わるためには最初に人口の圧力があって、次に砂糖の供給がある。イスラム社会にも人口増加があって、お茶に大量の砂糖を入れて飲む習慣もある。
今日気が付いたが、速水融先生が12月に亡くなっていた。慶応大学に研究室を訪ねたことを思い出してしまった。
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30年ほど前、「学校は考えない訓練をする」と言っても誰も本気にしなかった。ところが10年位前から事情が変わってきて、ネット上には学校教育の弊害を訴える書込みが増えた。現在でもこのような学校有害論は少数派だと思うが、それでも30年前から比べると同じ考えを抱く人が増えたのは少しだけうれしい。機会があるごとに、あちこちに書き込んできた影響があったのだろうかと思うときがある。人間の考えは変わるのではなく、古い考えを持った人が死に絶え、新たに人が成長してくることで社会は変わるのだと、最近実感するようになった。
脳の成長は成人する前にほとんど完了していると言われている。動作を覚える期間、言語を覚える期間は脳の成長と関係していて、その期間を過ぎると覚えることが難しくなる。人間の思考は高度な機能なので、成人してからも変える事が出来るのではないかと思えるが、実際には難しい。思考もまた適切な期間に訓練が必要らしい。
筆者は暗記が非常に苦手だった。算数の試験でも公式を覚えたことはなく、試験ではそのつど公式を導いて問題を解いていた。だからいつも回答するのが遅く、時間いっぱいかかっていた。高校のときある問題を勝手にベクトルを使って解いたら×がついてきた。解き方が違う、学校では教えていないので正解にはならなかったのだ。
試験問題には独特の文法があって、問題文を「正しく」読み解かなければ回答できない。いわゆる試験テクニックだが、筆者は空気を読んだことがないので、ときどきまったく違う解釈をして正解できなかった。とくに国語の試験は苦手で、間違いが多かった。
ところで人間の視覚には不思議な現象がある。網膜の一部が死ぬとそこは黒くなって視野が欠けていることが分かる。しかし、時間が経つと視野の欠けた部分を脳が補って、黒い部分が消えてしまうことがある。網膜が再生したのではなく、欠けた部分を脳内の視野から削除したのだ。黒い部分は無意識に追いやられて意識できなくなる。視野の一部が見えないことには変わりないのだが、意識できなくなってしまう。
人間は意識できないことは認識することが出来ない。このことは視覚だけではなく思考でも現れる。たとえば、ニュートンの万有引力は中学生で教えられる。学校では万有引力はない、なんて絶対に教えないので、受験勉強に必要な知識として丸暗記してしまう。万有引力が物理現象を理解する根底に据えられてしまうわけだ。ニュートンがどのように万有引力を思いついたか。当時の科学界に受け入れられるには100年かかった。などという情報は決して与えられることがない。
誰も万有引力がなぜ科学として常識になったかという経緯を知らない。知らないということは存在しないと同じだ。また、記憶力がよく、思考が良く働くと自己の思考の正当性についても、自動的に考えてしまう。学者には秀才が多い。現在の科学者、物理学者の多くは、網膜の一部を欠いた視野で物理現象を見ているのだ。筆者のように基本的な物理法則まで遡って考えることはめったにしないらしい。
学校が考えない訓練をしているということを言い始めて30年経った。ようやく理解者が増えてきた。物理学の間違いに多くの人が気がつくのはもう少し時間がかかりそうだ。