ABC予想でなんだかニュースが賑わっている。新聞の1面にも載った。しかしゲーデルの不完全性定理もそうだったが、数学は役に立たないことが多い。
物理学者の中には、自然界は数式で成り立っていると考えている人がいるそうだ。たまに論文を読むといきなり数式の変形から始まることがあって、面食らう。論文の中には、数式の変形だけで終わっているものもある。
17世紀、イギリスで王立協会が設立され、資金が寄付され授業が行われるようになるが、寄付の条件には、産業の役に立つこと、という条件があった。しかし、なかなか役に立つ授業は多くはなく、あとでクレームがついたらしい。
しかし王立協会は科学の振興を常に考えていて、市民向けの講義をちょくちょく開いた。ファラデーも市民講座の講壇に何度も立った。ファラデーの講演は人気が高く、ローソクの科学として出版された。いまなら、さしずめデンジローといったところか。
私たちは科学の描く自然界のイメージを、視覚的に捉えることが多い。数式でイメージできる人はまれで、それには特殊な訓練が必要だ。アーノルト・ゲーレンは道具的理性と呼んだ。道具的理性は、最初は意識して行う思考が何度も繰り返されるうちに、無意識的に行われるようになる、という人間意識のメカニズムだ。ところがこの道具的理性には欠陥があって、一度間違った論理が組み込まれてしまうと、それを修正することが難しくなる。
いっぽう、視覚的なイメージには間違いが少ない。現実の現象と照らし合わせることが可能だからだ。フック、ファラデーといった実験家はこのイメージ力が優れていた。きわめて直感的な論文を書いた。要素が多くなり、相関が複雑になるとイメージが難しいということもあるが、現代ならコンピュータがある。
DNAの二重螺旋は、発見された当時は複雑な構造で、図に表してようやく理解された。ベンゼン環も夢に現れて発見されたらしい。原子の構造は、20世紀初頭にラザフォード、ボーアがイメージしたが、その根底にあったのは、電気力線だった。マクスウェルの考えた電気力線は、プラスとマイナスが途中で中和するというものだった。原子核は、プラスの電荷しか、外側に影響しない、と考えられたため、マイナスの電子は、原子核の周囲を必死に回転しなくてはいけなくなった。
この電子が軌道を維持するための仕組みが数学によって説明された。波動関数の導入だ。しかしこれは科学にとって本末転倒な事件だった。電子の軌道が説明できなければ、それを組み立てている原理を疑うべきだった。
電気力線は中和しないのだ。
これはファラデーがイメージしていた力線のイメージだ。クーロン力は、まっすぐに伸びる線として考えられていた。個々の電荷から発せられた力線は、途中、干渉することなく物体に届く。物体内部でそれぞれ別個に及んだ力のベクトルが合成される。
原子核内部にマイナスの電荷があれば、電子は回転する必要がなくなる。マイナスの電荷は中性子が持っている。中性子は原子核から出ると約15分で陽子と電子に崩壊する。中性子は陽子に直接電子がくっついてできている。この電子がもつマイナスの電荷が原子核から一定の距離に電子をとどめる力を発揮するのだ。陽子のプラスが電子をひきつけ、原子核内部の電子のマイナスが反発する。
本来道具であるべき数学を自然現象と考えてしまったことが量子力学という壮大な空想を生んでしまった。21世紀は100年前におきた科学の間違いを正す世紀になる。