現在の主流科学では、地球膨張論は即座に否定される。膨張している証拠がないからだ。GPSの観測では、大陸移動は認められるが、地球膨張はない、とされている。球形の地球が膨張していることを短時間で観測することは難しい。一様に膨らんでいるわけではないからだ。
では、地球膨張を観測するためにはどうしたらいいだろうか? GPSの観測点では足りない。もっと密な観測網が必要だ。いっそのこと、地表にメッシュを描くのがもっとも手っ取り早い。
それで見つけたのがこれだ。
サハラ砂漠のアルジェリア付近に、このようなメッシュが地表一面にある。これなら、地球膨張の進行を精密に観測できる。問題は、誰がいつ書いたのかだ。衛星からの画像を校正するための線もあるそうだが、ここの直線はあまりに広大な面積に広がっている。
(Google Earthの画像を合成するときに出来たのではないかと、ひとしきり悩んだが、どうもちがう。誰かが地表に書いた、という結論に至った。赤線は筆者がいれた。1辺は約650m)
電荷に力が加わると電界の変動により磁界が生じる。アンペールの法則だ。通常は、銅線に電流を流すと周囲に生じる磁界で説明がされる。これを電子で説明してみよう。
電子1個は、こんな具合に電界を周囲に広げている。
この電子に力を加えてみる。すると電界の移動により、電位差が変化する。この変化が磁界を生むわけだ。磁界には、理由は不明だが、円周の接線に沿って力が生じる。この力が通常磁力線と呼ばれる。
電子1個という最小単位で生まれる磁力線にはすでに方向がある。これがモノポールが存在しない理由だ。
通常は1本の銅線に電流を流すことで磁界が生じると説明されるが、電子1個から発生した磁界のベクトルが無数合算されて、銅線の周りに現れるのだ。
電流の流れは、電子の移動により発生した電磁波が原因だ。もう少し詳しく説明すると、物質中に自由電子があったとき、電圧を加えられると、電界が現れる。自由電子はプラスの電界に引き寄せられるが、金属結晶中では、自由電子の移動を邪魔するもの―格子欠陥などが存在するため、少し動いては止まり、また動くを繰り返すことになる。このこまごまとした電子の動き、加速、減速が銅線の外側に電磁波を生じさせ、電流となる。減速の際には前方に電磁波が生じるが、全体で見ると電子はプラス側に移動するので、電磁波は後方、すなわちプラスからマイナス側に流れていくことになる。
電子1個から生じる磁界が無数に集合したものが、銅線の周りに現れる磁界ということになる。電子1個を考えると、磁界にはN極S極はまだない。そこで、銅線を巻いたコイルを考えてみる。コイルの断面を見てみよう。電流は左では手前から向こうへ、右は向こう側から手前に流れている。
コイルに巻かれている銅線が多数重なると、コイル内部と外で磁界の方向が同じになるため、ベクトルが合わさる。隣のコイルとの境界では、磁界の向きが逆なので、力が打ち消しあう(力が打ち消すのであって、磁界同士が打ち消すのではないことに注意)。N極S極は、電子1個から生じた磁力線のベクトルがびよーんと引き伸ばされたものであることがわかる。
しかしもうひとつ疑問がある。電流は銅線の外側にできる電磁波であると説明した。すると磁界の次に電界ができているはずだ。磁界が生じていることは、銅線の周りに方位磁石を置けばわかる。ところが電界はどこにあるのだろう?
なんだか、核心に近づいてきたような気がする。
続く…
ファラデーの電気力線はまっすぐに進み、干渉したり中和しないと指摘した。電磁波の直進性がその証拠と書いた。すると当然磁場はどうなんだとなる。磁場を考えていくと、自分でもトンデモナイと思える結論に行き着くので、書くのを控えてきたが、書かなければいけないだろう。
ファラデーは磁場、磁界も電界と同じように直進すると考えていた。力能(power)という概念は両方に通じる。しかし一般には磁力線はNとSの間で曲線を描く。
N極から出た磁力線はS極で終端する。しかしこれもN極、S極から真っ直ぐに磁力線が出ていて、物質、この場合は磁性体内部に各々力のベクトルが生じることで、曲がった磁力線が見かけ上生じる。
磁力線は、磁石を手にとっていじると、引力、反発力を手で感じ取ることができる分、イメージを作りやすい。同じ極を近づけると強く反発することから、多くの人は磁力線がゴムのような弾力を持っているとイメージしているだろう。
このゴムのような弾力も、距離の二乗に反比例する力であるために感じる特性である。見かけの磁力線は、鉄粉などを介して曲がるように見えるが、じっさいは真っ直ぐに放射されている。曲がらないのだ。
ところで、磁石を回転させると電波が出るか、というFAQがある。筆者はじっさいに回転させたわけではないが、磁界ループアンテナからも、おそらく電波が生じると思う。電磁誘導では、磁石の近くにコイルを置くと、コイル中に存在する電子ー電荷が力を受けて移動することで電流が生じる。では、磁石単体で回転させたとき、力を受ける電荷はどこにあるのだろう?
これを考えたとき、小一時間思考が固まった。周囲には何もない、やはり空間がエネルギーを持つのだろうかと、一瞬アインシュタインを尊敬しそうになった。しかし気がついた。周囲には空気がある。空気には1cm3あたり1京個も分子がある。宇宙空間でさえ、太陽系内なら100個、銀河間では0.数個存在する。まったく物質の存在しない空間はないのだ。
以前、電磁波は電界と磁場が90度の位相差で互いを生じさせながら伝播すると説明した。このときは漠然と空間がそれぞれ電界、磁界を生じさせているのではないかと考えていた。しかし磁場を考察することにより明確になった。電磁波は、媒質となる原子、電子の磁界、電界を変化させながら伝わるのだ。
空気による音の伝播を考えればわかる。音は1cm3あたり1京個もある分子集団の密度差が伝わる。電磁波は、空気中なら分子の持つ電界、磁界が数珠繋ぎに移動することで伝播するのだ。宇宙空間でも同じ。宇宙空間にある星間物質は、エネルギーが1万ボルト~100万ボルトと高い。密度は薄くてもエネルギーが高いために、陽子と陽子が離れていても電界、磁界の変化が効率よく伝わるのだ。
地上では空気分子が、宇宙空間では陽子、電子が電磁波を伝える。この仮説もいくつかのハードルが残っている。密度の低い銀河間宇宙では、電磁波の減衰が大きいのではないか? エーテルとはどうちがうのか? などだ。しかし、この仮説は従来のように空間に魔法のような役割を持たせる必要がなくなるという利点を持つ。きわめて現実的な仮説だ。
追記:アインシュタインは特殊相対性理論の構築のため、ミンコフスキー空間を導入したが、この空間と言う概念自体が、万有引力と同じで、間違っていたのだ。ある現象を説明するために数学的概念を取り入れると言う手法が、間違いを生んだ。空間は実証されることなく現代物理学に紛れ込み、多くの物理学者の糖分を脳細胞が無駄に消費しているのである。
地球の重力が電磁質量でEMドライブの原理と同じだと指摘した。ではほかの惑星はどうなっているのだろう? とくに火星は探査機がたくさん着陸していて、データがそろっている。火星の重力は地球の約3割強しかない。メカニズムは同じなのだろうか?
火星は、表面のひび割れなどから、地球と同じく内部から膨張していることがわかる。相転移による電子が大量に存在するはずだ。火星の自転周期は、約24時間なので地球と同じ。しかし半径が2分の1しかないので、電子の線速度も半分しかないはずだ。
一般には火星には磁場がないとされる。しかし最近の調査では、火星にも磁気圏が存在することがわかった。
Mars’ magnetic field http://www.space.dtu.dk/english/Research/Universe_and_Solar_System/magnetic_field
電離層も存在する。
火星の磁場は、地球のようにきれいに連続しているのではなく、断片的に発生しているらしい。
そのためか、火星には浮かんでいる岩が存在すると言う画像もあるが、怪力乱心を語らず、としておく。
断片的ながら火星にも固有磁場があった。重力発生のメカニズムは地球とほぼ同じと考えていいだろう。
アーノルト・ゲーレンはドイツの哲学者で、ナチスに加担したとして批判された。筆者は『人間―その本性および自然界における位置 』法政大学出版局、を図書館で借りて読んだだけだが、かなり影響を受けたと感じている。
ゲーレンの業績は哲学と言うより、自然科学、人類学での人間意識の変遷を明らかにしたことが大きいと思う。なかでも道具的理性の解明は、無意識の構造を明確にし、その欠陥も指摘した。ユングの無意識が夢のような漠然としたものであるのに対して、ゲーレンの道具的理性はきわめて論理的だ。
たとえば、南米のギアナ高地には、古代から進化の止まったカエルが生息している。この古代カエルは、動きがぎこちない。手足を一歩ずつ確かめるように前に出して歩く。ほかの進化した動物なら、歩くといった行動は、無意識に繰り込まれていて、考えずに手足を動かすことができる。古代カエルは、まだ無意識ができておらず、一歩一歩手と足を動かすことを意識しないといけないのだ。
人間の成長もまた古代カエルと同じだ。人間の基本的動作はDNAの発現と考えることもできるが、意識から無意識への繰り込みが多い。初めて自転車に乗ることを考えれば、わかりやすいだろう。
無意識への繰り込みは、動作だけではなく、考えるという高等的な作用へも現れる。日本人は、掛け算の九九を暗記する。基本的な掛け算の結果を、記憶することで、複雑な計算の負担を減らすためだ。日常生活で必要な計算の多くは、九九を暗記することで効率が向上する。
九九は道具的理性のひとつだ。計算だけではなく、人間の思考は無数の道具的理性で構成されている。ある人は、積み上げられた道具的理性を巨人の肩といった。現代人は過去の人間が積み上げてきた道具的理性の上で思考を働かせている。すでに無意識に繰り込まれた理性を疑う人は少ない。
もし、九九の中に間違った計算が入っていたら、それは直感的に気がつくだろう。しかし、その間違いが非常に紛らわしいものであったとしたら、気がつくだろうか?
たとえば、プラスとマイナスの電荷がくっついていたとする。電気力線は互いに中和するので、この2つの電荷が外に働きかける電気的引力・斥力はゼロだ。これがマクスウェルの解釈だった。マクスウェルは、当時、熱の伝達を考えていたため、電気力線も熱と同じように途中で干渉するとしたのだ。
ところがファラデーは実験によりクーロン力は干渉することなく真っ直ぐに働くと考えていた。プラスとマイナスの電荷がくっついているとき、外側にもプラス、マイナスの力線は真っ直ぐに伸びている。ほかの物質には、プラスとマイナスのクーロン力が個別に作用するが、物質内部で力が合成されるため、見かけの力はゼロになる。
数式の結果は同じになるため、マクスウェルの誤解はそのまま電磁方程式として広まった。これが現代物理学に埋め込まれた道具的理性である。いまさら電気力線は中和しない、と指摘されても、ほとんどの人はそのように考えない。人間の意識には、自己を守ると言う機能が備わっていて、すでに繰り込まれた道具的意識も変更できなくなっているのだ。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー)でも、人間社会における習慣が社会変革を妨げると指摘されている。かように変革とは難しいものなのだ。