この破壊学のブログを初めて読んだ人は、違和感があるはずだ。教科書で書かれている地球科学、物理学とはかなり異なる内容に、たぶん、反発を覚えるだろう。記憶は自己意識であるので、自己を守ろうとする機能が自動的に働く。論理的、合理的に思考できないと自分が一度記憶したことと異なるストーリーを受け入れることは困難になる。
電気的地球科学は、物理学に5つ(一つ増えた!)の間違いが入り込んでいることを指摘してきた。最初は間違いを修正するだけだったが、そこで気がついたことがある。自然現象の連続性だ。
地球の自転は、マグマに流れる電流によるファラデーモーターだ。電流は地球内部から湧き上がってくる電子による。地球内部の電子は、自転することで地球磁場を生んでいる。同時にシューマン共振を発生させ、地球の重力を生む。電子の由来はカンラン石の相転移だ。相転移により水と二酸化炭素を放出する。二酸化炭素はミューオン核融合で酸素と窒素に分かれる。地下からの電子の挙動は、太陽と月の電荷に左右される。月は地球内部の電子の動きを制御して、地球の自転速度を調整している。地震も自転速度の微調整を行っている。また電子は地表から電離層に移動する際、雨を降らせる。カンラン石の相転移は地球を膨張させている。膨張は海底を拡大させ、海水面を低下させる。膨張が促進されるとき、水も大量に発生する。電子の放出も増えるので雨も増える。海底が拡大して海水面が減った分が補われる。
まだまだあるが、自然現象にはひとつも無駄がないことがわかると思う。
一般に現代科学は、自然現象をその原因までさかのぼって行く、還元主義であるという。還元主義はデカルトの機械的世界観に端を発しているとされる。しかし、破壊学ではデカルトが機械的世界観で主張したのは、物と物による自然現象の説明であると指摘した。現象をばらばらにして原因をいくつかの重要な法則に求める方法は少し違うのだ。
還元主義の反動として1970年代にニューサイエンスが出てきた。ホリスティック・サイエンスともいわれ、現象を自然全体から見ることで科学を構築しなおす運動だった。「機械の中の幽霊」(ケストラー)がよく読まれたのは、人間を機能面から解体していくと、どこにも中枢が存在しないという還元主義の矛盾をうまく突いた内容だったからだ。だが、ホリスティック・サイエンスは現在では医学の一部に残るだけで、物理学には異端としての記憶しか残されていない。
電気的地球科学を考え始めたとき、地震がその発端だった。地震は先にあげたように地球の公転から始まる大きな連続の中に存在する。さらに地球の重力をシューマン共振であると突き止める過程で、電磁波、原子に思索の対象が移っていった。現在では、太陽、太陽系、銀河、大規模構造まで含まれるようになった。自然は互いに連続していて、関係しあっている。まさにホリスティックな宇宙を電気的地球科学は発見した。
ニューサイエンスのブームは、1950年代から70年代まであったヴェリコフスキーとの論争が生んだ。海外ではその後も論争は続いていて、そのなかで相対性理論は80年代に破綻した。現在は量子力学が論争の焦点になっている。低温核融合に関する議論は、じつは量子力学の正当性の議論なのだ。早晩、中性子が陽子と電子の複合粒子であると確認され、クオークは否定されるだろう。クオークの分数電荷は、原子核内で陽子と陽子を結合させている電子の電荷だからだ。クオークの否定は素粒子科学の大部分をやり直す結果になるはずだ。素粒子科学には、現象の連続性がない。
自然現象全体の連続性とは、デザインに一貫性があることだ。現在の科学は、宇宙は偶然生まれ、生命も偶然生まれたとする。宗教の神と宇宙、自然には関係がない。それは人類の独立性を保障している原理でもある。しかし、宇宙がデザインされ、生命も同じだとしたら、人類は誰かが作ったことになる。責任者出て来いの世界だ。