現在の地球科学の柱であるプレートテクトニクスの間違いも指摘しておくべきだろう。ごく少数の地震研究者は、すでにプレートテクトニクスに依拠しない理論を求めている。プレートテクトニクスでは、地震がなぜ起きるかさえ、説明できないからだ。
プレートテクトニクスは、大陸移動説と地球の構造を決めたキャベンディッシュの実験が根底にある。キャベンディッシュの実験が間違っていることは、何度も指摘してきた。キャベンディッシュの実験によって、地球の比重が決定され、コア、マントルといった内部構造が推測された。
大陸移動説は、キャベンディッシュの実験が導いた地球の構造によって説明されている。大陸移動説は、北米大陸、南米大陸がアフリカ大陸の海岸線と類似していると言うことから発想された。これだけでは、大陸移動説は地球膨張説でも説明できる。プレートテクトニクスが優勢になった理由は、海溝の存在だ。
http://contest.japias.jp/tqj2000/30295/mechanism/earthquake/trench.htmlより
海溝とは、上の図のように説明されることが多い。海洋プレートが大陸プレートにぶつかって沈み込んでいく。かなり鋭角な地形を想像しているかもしれない。しかし、海溝の実際の様子は以下のようになる。
これはGoogle Earthで日本海溝を表示させた画像だ。海溝の底はだらんとした窪みになっている。プレートが沈み込んでいくのなら、上に乗っている地殻や土砂が押されて、急峻な崖を作っているはずだが、そういう地形はない。また、片方のプレートがもぐっているなら、そこにあるべき玄武岩層が存在しない、という岩石学からの指摘もある(「地球の半径」星野通平)。
第6図 東北地方の三陸沖(北緯38°)を切る東西断面での震源分布.http://www.dino.or.jp/shiba/eqdist.htmlより
上の図は、よく見かける地震分布からプレートの沈み込みを説明するものだ。地震の原因をひずみと考えていると、この図はかなり説得力がある。しかし、電気的地球科学では、海溝の凹みは、内部にあるマグマが6000mの海水の圧力で凹んだものであると推測している。マグマの周囲に震源が分布するのは、マグマに流れる電流が周囲の岩石に流出して放電しているからだ。マグマ内部は電気抵抗が低いので、放電しないため、上の図のような分布になる。
また、プレートテクトニクスの重要な根拠になっているマントル対流(現在ではプルーム)は、プレートの下に比較的柔らかな層、マントルミレフィーユが発見され、対流によるプレートの駆動は否定された。すると、今度はプレートが沈み込んでいくことで、プレート全体がマントルに引っ張られていると言い出した。海嶺から押し出す力でプレートが動くと言う場合もある。マントル対流があったとしてもプレートは動かないのだ。
それでもGPSによる計測でプレートの移動がわかるという。
この図は国土地理院が311のときに動いた地殻を矢印で示したものだ。確かに大陸側が東に動いている。しかし、肝心の海洋側はGPSでは測定できない。大陸プレートが一方的に動いているだけだ。だが、こうした沈み込みのない地殻の移動も、地球膨張説なら矛盾なく説明できる。現在では、地球膨張は氷河期に、急激に膨張が進むとわかってきた。
まとめてみよう。
地球の階層構造を推測したキャベンディッシュの実験の間違い
プレートを動かす根拠の喪失
海洋プレートの沈み込みが確認できない
以上の理由でプレートテクトニクスは理論として放棄しなくてはいけない。
原子核は陽子が電子で結び付けられた状態だ。プラスとマイナスの電荷が軌道上の電子をゆるくつなぎとめている。だが、これだけでは電子軌道が飛び飛びの半径を持つことは説明できない。
量子跳躍は、現状の量子力学では自然現象と考えられているが、その原因には言及されていない。じつは量子跳躍と類似した現象がある。太陽系だ。太陽を中心とした惑星の公転半径は、数列で現される。ティティウス・ボーデの法則で知られる。
a / AU = 0.4 + 0.3 × 2n
aは惑星の平均軌道半径、AUは地球と太陽との距離。wikipediaより
太陽系の惑星がなぜこのような軌道を取るのか? 公転しているかさえ、現在の天文学では解明できていない。しかし、電気的地球科学では、公転の動力は太陽を貫くビルケランド電流によるローレンツ力、惑星の軌道が安定しているのは、太陽振動が起こしている定在波のためと説明している。
惑星と軌道電子は、太陽・原子核の持つ電荷に対して、電気引力・斥力が働くため、一定の距離を保っている。だが、電子軌道を飛び飛びの距離に束縛する力は明らかになっていなかった。太陽振動に相当する力が原子核にもあるのだ。
太陽は星間物質を飲み込んで、約5分の周期で振動している。太陽のエネルギーは星間物質がもたらす電気エネルギーだ。では、陽子や電子は外部から電荷のエネルギーを得ているのだろうか? 一般には、陽子、電子は素電荷と呼ばれ、電荷は最初から備わっている性質と考えられている。ところが最近の研究では、ガンマ線を吸収した原子核から再びガンマ線が放射されていることがわかってきた。シザースモードだ。
シザースモードは、比較的大きな原子核で見られる現象だが、陽子1個でも起きている可能性が高い。またガンマ線は透過力が弱いので、物質の奥深くまで入り込むことができない。そこで考えられるのがニュートリノだ。ニュートリノはほかの物質と相互作用をほとんどしない粒子と考えられている。ところがニュートリノは発生した瞬間から光速で移動する。ニュートリノは電磁波なのだ。陽子と電子が離れるとき、くっつくときにニュートリノは発生する。陽子がわずかに凹むとき、窪みが戻るときに発生する電界のパルスがニュートリノだ。
電磁波は粒子を媒介として進む、と電気的地球科学では説明している。ニュートリノの密度は地表で1秒間に1cm2あたり660億個(太陽ニュートリノだけで)ある。この高密度のニュートリノは、伝わっていく原子に電荷を供給していると考えられる。また、陽子の大きさが変化していることも確認されている。
陽子に供給される電荷が増えると陽子の直径が大きくなるが、そのとき、電荷のパルスが周囲に発生する。陽子振動が作る電荷の定在波が原子核の周囲には存在するのだ。この定在波の谷間に電子は落ち込んでいるというわけだ。
かなり長くなったが、量子跳躍の原因を説明してみた。現在の量子力学が説くように、波動関数などの数式が原子核を作っているわけではないことがわかったと思う。量子力学のもうひとつの間違いは、相対性理論と同じように数式に根拠を求めることだった。
さて、次の段階では原子核の構造に言及していくわけだが、原子核の構造は非常に複雑なルールを持つことがわかってきた。静的電子原子模型(Static Electron Atom Model)は、いまのところ、ここまで進んでいる。
相対性理論が間違っているという主張は良く見かけるかもしれないが、量子力学が間違っているとはあまり聞かない。相対性理論がアインシュタイン一人によって考案されたのとは違って、量子力学は大勢の物理学者がその発展に関わっているからと言われている。大勢関わっていれば間違えないのだろうか? しかし、量子力学もその始まりから間違っているのだ。間違いがなぜ入り込んだのか? ひとつずつ追っていこう。
19世紀、製鉄業の発展で熱力学が発達した。鉄を精錬する過程で、炉の温度を測る技術が求められたからだ。炉の放つ熱は、色で温度がわかることが経験的に知られていた。そこで製鉄の品質を改善するため、炉の放射する温度を理論的に解明することが重要視された。そこで明らかになったのが、炉をモデルにした空洞放射のエネルギーは波長の整数倍に比例すると言う数式だった。炉のエネルギーは連続ではなく、飛び飛びの値をとることがわかったのだ。これが量子の発端だ。
電磁気学を作ったマクスウエルも熱力学を研究していた。そこにファラデーの実験ノートをまとめる仕事が入った。ファラデーはマクスウエルの前に、キャベンディッシュの実験ノートを整理する作業をやっていた。もともと、ファラデーのイメージしていた電荷、クーロン力は、まっすぐに対象に届くと考えられていた。ところがマクスウエルは熱のイメージでクーロン力を考えたため、プラスとマイナスが途中で中和するとしてしまった。また、中和するとしたほうが計算が簡単になる。現在考えられている電気力線が途中で曲がってしまうのは、マクスウエルの考えたイメージなのだ。
この部分をもう少し詳しく説明すると、ファラデーはプラスから出てマイナスに収束する電気力線は、それぞれの密度は変わらないと考えた。つまり、プラスから出た電気力線は、途中で中和することなくマイナスに届く。ところがマックスウェルは電気力線が途中で熱のように中和してしまうと考えた。たとえば、プラスとマイナスの電荷が隣り合っている時、マックスウェルの考えでは、プラスとマイナスの電荷の差が周囲に放射される。しかしファラデーの考えでは、プラスとマイナスの電気力線はそれぞれ別々に広がって、対象に届く。このファラデーとマックスウェルの考えの違いが大きな勘違いを生んだ。
量子力学のきっかけとなった、ボーアの原子模型は1913年に考案された。プラスの電荷を持つ原子核の周囲をマイナスの電子が回っているという模型だ。当時はまだ原子核が陽子と中性子が結合しているとはわからなかった。中性子の発見は1932年だ。古典物理では、原子核の周囲を回る電子は、回転の角加速度によって電磁波を放出し、やがて原子核に落下するだろうと考えられた。そこで、1924年にド・ブロイによって、ドブロイ波が考案され、電子は波になった。
中性子が発見された当初、湯川博士は陽子と電子が結合しているのではないかと予想したらしい。中性子が複合粒子であるとの見方は、湯川博士のほかにも何人もの研究者が指摘していた。現在ではCarl JohnsonとEdo Kaalが新しい中性子像を主張している。また、常温核融合では中性子が合成されるメカニズムとして、陽子+電子を予想している。
現在の中性子は1969年にクオークが登場した後に、確立されたイメージだ。クオークによれば、陽子と中性子は異なるクオークが結合した粒子だ。現在の量子力学は1970年代に主流となった新しい学説なのだ。
よく言われる半導体の開発に量子力学が使われたというのは、正確に言えば、統計力学が使われたと言うべきだ。量子力学は波動関数などの統計的手法を熱力学・統計力学から引き継いでいる。そのため、多粒子系―マクロな系では統計力学として機能する。ところが原子核と言った粒子の少ないミクロな系では、統計的手法を少数の粒子に対して適応するので、不確定性が現れてしまう。
この矛盾が量子力学をわかりにくいものにしている。熱力学を研究していたアインシュタインが量子力学を批判した理由がこれだ。「神はさいころを振らない」という有名な台詞には、統計を粒子の少ない原子に当てはめるべきではない、という意味がこめられていたのだ。
さて、量子力学の中心には、マクスウエルの電気力線、中性粒子としての中性子がある。中性子が陽子と電子の複合粒子であれば、原子核にはマイナスの電荷が存在する。プラスとマイナスの電気力線が途中で中和せずに周囲にクーロン力を及ぼすなら、軌道上の電子は、陽子のプラスに引き付けられつつ、電子のマイナスで反発する。つまり軌道上の電子は、プラスとマイナスの電荷によりゆるくつながれた状態になっている。ドブロイ波は必要ないのだ。
1924年にドブロイ波を導入したのは、当時の趨勢から仕方なかったかもしれない。しかし、1969年にクオークが登場するまで何度も修正する機会があったはずだ。いまがそのときなのかもしれないが…
量子力学の間違いは、このように量子力学をある程度知らないと理解できない。しかし、現在の学問体系では、量子力学を知ってしまうと、そこでの批判ができない仕組みになっている。大学の研究制度、論文の査読といった障壁が批判を許さないのだ。
もうひとつの「量子」については、かなりややこしい事情がある。現在でも量子跳躍がなぜ現れるのかを説明することはできないでいる。原子核の周囲にはいくつかの周期的な距離を保つ、電子軌道が存在する。これは次の記事で解説したい。
このブログでは、相対性理論のことはあまり取り上げていない。その前の万有引力が間違っているので、相対性理論の間違いを指摘してもあまり意味がないと考えているからだ。最近では、高校の教科書にも相対性理論やビッグバン宇宙論が書いてあると言う。一度、教科書で覚えたことをひっくり返すのは、フツウの人には難しいことだ。大部分の人はそのまま疑問を持たずに一生過ごすことになる。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ヴェーバー)では社会を変革してきたのは、宗教が導いた勤勉性と指摘した。同時に社会を成立させているのは、人間の持つ習慣であるとも説いた。ところが、この習慣を変えることは非常に難しい。世の中が一朝一夕に変わらないのは、習慣の持つ頑固さが原因といえる。
よく、科学はいずれも仮説の状態で、よりよい理論が登場することで進歩する、と訳知り顔で説く人がいるが、相対性理論の場合は、ニュートンの万有引力とマクスウエルの勘違いした電磁気学の上に乗っかっているため、一切合財を削除するしかない。代替の理論はないのだ。
また、GPSで使われているから、正しいとするのも、根拠は否定的だ。GPSの開発では、現場あわせによる修正が行われたという。相対論的効果=原子時計の遅れ、は毎日定期的に行われる地上からの時刻補正で修正されているというが、これはいくつもあるGPSの修正のひとつに過ぎない。電気的地球科学では、衛星軌道上の原子時計の遅れは、ニュートリノ密度の差による。
もう一度書いておくが、99%の人は、一度間違った認識を覚えてしまうと修正できない。とくに暗記力を訓練してきた人は、暗記したものが自我の一部になってしまうので、無条件で自我を守ろうとする仕組みが働いてしまう。相対性理論の間違いに気がつくことは、宗教的気づきに等しいのだ。相対性理論についての議論がしばしば紛糾するのは、宗教対立と同じ構造がある。