人が入れ替わることで社会が変わると書いた。一人の人間の考え方が途中で変わることはほとんどない。古い考え方を持つ人間が死んでいき、新しい考えを持つ人間が生まれてくることで社会は変わる。だが、新しい考え方が生まれてくる人間にすべて受け入れられるわけではない。古い考え方が生まれてくる人間を縛り付けるほうが多い。
「薔薇の名前」では新しい知識を否定する教会の権威が一つのテーマになっていた。現在を見ても普通の人間は保守的で古い大勢の考え方に同調しやすい。新しい考えが増えるためには人口増加が不可欠なのだ。
その点で日本はすでに著しい人口減少に追い込まれた。毎年50万人も減っているのは、かなり危機的だ。科学研究はある程度人口が多く、経済的余裕がないと進まない。現在の科学は貧困にあえいだ状態で研究はできない。中世に科学を探求したのが富裕層であり、貴族の宴会の余興で披露される奇術のようなものが科学実験だった。芸術と同じで科学も旦那衆が必要だ。
17世紀に起きた科学革命には伏線がある。12世紀のルネッサンスだ。このとき、馬の胸に当てる帯、胸帯が発明された。それまで畑を耕すスキを引くのはもっぱら牛の役目だった。背中に飛び出た肩甲骨に棒をあてがいスキを引かせた。牛よりも馬のほうが歩く速度が速いので馬にひかせればいいと思うだろうがそうはいかない。馬にはスキを引くための棒を当てる突起がない。首に輪をかけると首が閉まって馬は歩けなくなるのだ。
胸帯は馬にスキを引かせるための画期的な発明だった。畑を耕す速度が一気に数倍になったからだ。
農耕の効率化は農村部から都市部へと人口を移動させる役目も果たした。人手が余ったからだ。ちょうどこのころ、大航海時代が始まる。一攫千金を求めてヨーロッパから大量の人間が飛び出した。これが15世紀の新大陸発見につながる。
速水融の歴史人口学によれば、人口の圧力が社会を変える原動力となる。人口圧は新大陸に及んで、大量の砂糖生産が始まった。
11世紀には中国でも近代科学の萌芽があった。鄭和の大航海もあった。しかし中国では科学革命が起きなかった。原因は砂糖である。人間の脳は糖分を栄養源とするが、でんぷんから体内で糖を得るより、直接砂糖を摂取したほうが効率がいい。砂糖は人間の思考を働かせるために欠かせない栄養だ。中国ではつい最近まで砂糖が足りなくて、合成甘味料が使われていた。
15世紀末から新大陸で始まった砂糖生産は16世紀に大量にヨーロッパにもたらされた。砂糖を楽しむためイギリスはインドから紅茶を輸入した。大量の砂糖を入れたティーをふるまうサロンができた。サロンにはある程度金を持つ暇人が集まって、科学議論を戦わせることになる。人嫌いで変人のキャベンディッシュもティーサロンには来たという。
初めのころ砂糖は高価で貧民の口にはなかなか入らなかったが、18世紀には一般庶民にも豊富に供給された。産業革命で都市部に流入した農民は、安い貸し間で、朝食に砂糖のかすを食べて工場に出かけた。フランスでも砂糖菓子が流行した後、フランス革命が起きた。
人口の圧力に加え、食糧生産、砂糖の大量供給が科学革命と産業革命を進める原動力になったのだ。日本では江戸末期に薩摩藩が琉球でサトウキビ栽培に成功して、大量の砂糖を供給できるようになった。坂本龍馬はいつも懐に金平糖を持っていた。西郷隆盛の好物はウナギを甘いたれにつけて焼いたものだった。
社会が変わるためには最初に人口の圧力があって、次に砂糖の供給がある。イスラム社会にも人口増加があって、お茶に大量の砂糖を入れて飲む習慣もある。
今日気が付いたが、速水融先生が12月に亡くなっていた。慶応大学に研究室を訪ねたことを思い出してしまった。