たまにヤフーの知恵袋に回答することがある。めったにベストアンサーにはならないが、質問者と回答者を見ていると興味深いことがわかる。
たとえば、ブラックホールの質問が出ると、不規則で強力な電波源をブラックホールと仮定したというところから説明するとまったく反応がない。他の回答を見るとブラックホールの存在はすでに事実であるところから始まっている。太陽のエネルギー源にしても、重力の圧力で熱核融合するのはすでに解明された事実として扱われている。
ダークマターもそうだ。発端は銀河の回転が中心部と周辺が同じであるという観測結果から来ている。しかし、ほとんどの質問者、回答者はすでにダークマターが「ある」という前提で考えている。これは量子力学を調べたときも同じだった。大学の研究者でさえ、量子力学が作られた20世紀初頭の喧々諤々とした議論を知らないのだ。アインシュタインの光量子説、ボーアの原子模型などは事実として扱われている。ラザフォードの核内電子説は誰も知らない。原子内部のクーロン力は考慮されることなく波動関数が使われている。
質問者も回答者も根本的なところから考えることがない。まるで答えの決まっているクイズの回答のような感じだ。しかしこれは一般の人だけでなく、ほとんどの研究者も五十歩百歩だ。基本的なところに立ち返って考えるということを忘れているようだ。最近読んだ質量に関する数冊の一般書にはキャベンディッシュの実験にふれている本がなかった。
Quoraには現役、退職した研究者が書き込むことがあるが、知恵袋の素人とあまりレベルに違いがない。多少知識が増えているだけだ。たとえば、水素原子の存在を疑問に思わない。量子力学の最初でラザフォードが扱ったのは金の原子だった。ボーアの原子模型も原子量の多い原子核を想定して考えられている。しかし、波動関数で検証されたスペクトルはなぜか水素原子なのだ。陽子1個電子1個の水素原子が実在しないことは以前指摘している。
1980年代に学問領域のたこつぼ化が懸念されたことがある。専門化が進みすぎると全体を見渡すことが難しくなり、学問の進展に弊害が出る、と。今起きていることはたこつぼ化だけでなく、基本を知らない歴史の欠如とも呼べる現象だ。科学にもその発展には歴史があるが、歴史を無視することによって問題の本質が見えなくなっている。まるでゲームのように科学が捉えられている。ゲームではルールを無視することはご法度だが、科学は常にルールや原理を検証することが必要なのだ。
科学のゲーム化が露呈しているのはダークマターやブラックホールだけではない。重力波もゲーム化の最たるものだろう。電磁波が電界のパルスであり、物質を直接振動させるという原理を忘れてしまった結果が、「重力波」の検出に疑問を持たないことに至った。困ったものだ。