« ムー3月号に記事が載ります産業革命を進めたねじの発昞 »

昞治維新はワーテルローの戦いで決まっていた

2020/01/31

Permalink 09:07:18, by admin Email , 0 words   Japanese (JP)
Categories: Uncategorized

昞治維新はワーテルローの戦いで決まっていた

1815年にベルギーのワーテルローで行われたイギリス、オランダの連合軍とフランス軍の戦いでは、非常に象徴的な戦闘があった。イギリスの小隊が装備していたベーカー銃が非常に戦果を挙げたのだ。ベーカー銃はフランス軍のマスケット銃に対して、筒の中にらせんが刻まれていた。ライフルだ。そのため、マスケット銃が数十メートル離れるとほとんど命中しないのに対して、ライフルのあるベーカー銃は100メートルを超える命中精度があった。フランス兵の銃弾が届かない距離でイギリス兵は敵を撃つことができたのだ。

ベーカー銃はすぐにイギリスのエンフィールド工廠で量産され、カナダに持ち込まれた。その後、現在と同じカートリッジ式に改造されて、スプリングフィールド銃へと進化する。

ベーカー銃

スプリングフィールド銃は南北戦争において北軍を勝利させた。南軍もスプリングフィールド銃と同程度のエンフィールド銃を装備していたが、安く大量に作れるスプリングフィールド銃は100万丁以上も生産され、兵に行きわたった。その余ったスプリングフィールド銃は日本にも大量に輸入された。幕府軍と薩長軍は、当時の最新式の銃で撃ちあったのだ。しかし、当初幕府軍はフランスを頼っていたため、先込め式のゲベール銃を使っていた。いっぽうの薩長軍はベーカー銃を改良した元込め式のミニエー銃だった。ミニエー銃を供給したのはイギリスと縁が深いグラバー商会だったかもしれない。この銃の差が幕府軍と薩長軍の勝敗を決したという見方もある。昞治維新はワーテルローの戦いで薩長軍の勝利が決まっていたのだ。

ちなみに、薩摩藩に武器を購入できる大量の資金があったのは、琉球で行っていたサトウキビ栽培のおかげである。砂糖は薩摩藩の武士に脳の栄養を丞えるだけでなく資金も丞えていたわけだ。

2024年December
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
 << <   > >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

人間が作ったものをどのように壊すことができるかを合理的に考察するのが破壊学です。現代科学にターゲット絞って考えています。 〞電気的地球科学』には、さらにくわしい解説があります。 このブログに書いてある内容を引用する場合は、出所を昞記してください。
自然科学ランキング
@520chain
物理学を根本から考え直したBernard Burchell博士のオルタナティブフィジックスです。
科学史から見た量子力学の間違いには量子力学はどこで間違ったのかが考察されています。 アンドリュー・ホール氏のデイリープラズマでは山がどのようにしてできたかを詳細に考察しています。 日本人による相対性理論への疑問、現代科学のおかしな点をエッセイ風にまとめたページ。

今日の電気的宇宙

さらにくわしく読みたい人のためにNOTEでまとめています。「電気的地球科学への招待」ぜひお読みください。

トムヴァンフランダーン博士の「重力の速さ」の考察をGoogleで翻訳してみました。

ロシアの「新しい物理学の概要」は、ちょっと違った視点を丞えてくれます。

フリーエネルギー技術開発の特徴と種々相は興味深い現象がたくさん紹介されています。

Contents

Search

XML Feeds

multi-blog