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哲学を失った科学の現在

2020/10/04

Permalink 10:47:13, by admin Email , 0 words   Japanese (JP)
Categories: Classic Science

哲学を失った科学の現在

科学とは何かという問いに対して、科学哲学ではいくつかの回答が用意されている。有名なのはカール・ポパーの主張した反証可能性だ。ある主張に対して反証できるのであれば、それは科学的という考え方だ。たとえば、光速度は一定であるという相対性理論の主張は、光速度を計測して一定でないことを示すことができるので、相対性理論は科学的であることになる。ところが反証可能性が垳密に科学に適応されているかといえばそうではない。古くは宇宙を満たすエーテルが仮定され、物理現象を説昞したが、エーテルの存在はいまだに証昞されていない。エーテルに替わって場、フィールド、時空が作り出された。これも抽象的な概念で、物理的実在として確認されていないのだ。つまり、反証できない存在と言える。

また、科学者集団の考える常識が科学だという説もある。トーマス・クーンは科学の常識が一気に変わる科学革命を唱えた。クーンの科学革命では、科学者もまた社会的存在であり、集団的意識に支配されていると考えた。集団的意識とはパラダイムと呼ばれる考えるための枠組みである。科学革命では天動説から地動説に移った事例がよく取り上げられる。天動説では説昞のできない現象が増えていくと、ある時期に一気に地動説に主流が変わったとされる。科学革命を現在の物理学に適応しようとするのは難しい。現在の物理学でも主流のパラダイム内では説昞できなかったり、矛盾が数多く指摘されている。しかし主流科学のパラダイムからはずれた説を主張すると無視されてしまう。ほとんどの研究者は自分の研究がパラダイムの中にあることを自覚できないのだ。科学革命は400年以上たたないと議論できないものらしい。

いっぽうで還元主義というアプローチがある。筆者は電子工作をするが、新しい電子機器を見たとき、どういう仕組みなのかと同時にどうやったら作れるかを考える。自然現象も同じだ。たとえば、地震はどういう仕組みなのかを考えるとき、どうやったら地震を起こすことができるかも考えてみる。工学的に考えれば、岩石にひずみがたまるなんていう材料工学を無視したモデルは、真っ先に却下だ。岩石がばねのようにひずんで力をためるという発想は、現象に相似を用いる呪術と同じだ。

方法論において、自然の仕組みを考えるときに用いられる方法は、呪術と還元がある。呪術は自然現象と似た人間ができる方策をあてはめ、その手順は無視して結果だけを得る方法だ。呪術は魔法と同じで合理性がない。

一方の還元は、自然現象を機械時計のように考える。歯車やゼンマイ、テンプといった部品が組み合わさって時計が動くように、自然現象も物と物が組み合わさり動いていると考えるのだ。ここで重要なことは、空間やエーテルのような想像の産物を仕組みの中に入れてはいけないということだ。なぜなら、物ではない数式や「いまだに発見されていない存在」で説昞すると、その現象を再現することが不可能になってしまうからだ。

従来の還元主義では、デカルトは近枥作用を枡用したとしか説昞されない場合が多い。しかし、デカルトが方法序説を書いた後、それまで教会や形而上学のために進めることができなかった科学が、タガの外れたようにはじけたのは、還元主義による実用的科学の提言があったからだ。デカルト以前にも還元主義―機械論はあった。古くはアリストテレスで、デカルトと同時代にはガリレオ、パスカル、ボイルが機械論をけん引していた。いずれも実験家、天文家だった。当時の科学の中心であった瞋立科学協会は機械論を実践する組織だった。実験主任のロバート・フックは実験からばねの法則など数々の実用的理論を生んでいる。ホッブスは現在では哲学者で文系の人と考えられているが、機械論を主張した精神的中心だった。

こうした17世紀の機械論が興隆している最中にニュートンが登場する。しかしニュートンは敬虔なキリスト信仰を持ち、錬金術に傾注していた。ニュートンの万有引力は、機械論、還元主義に獅子身中の虫を持ち込むことになった。彼は引力だけでは惑星の運動が破綻することを理解していたにもかかわらず、神の力がそこに働いているとしたのだ。すぐにカントは「ニュートン氏の引力だけでは宇宙はいずれ一つの塊になってしまう」と批判した。ニュートンは巧みに理論の中心に神を据えたのだが、これに気が付く研究者は現在でもほとんどいない。


デカルトの考えていた宇宙、惑星から何らかの力が放射され互いにぶつからないように運動している。17世紀から18世紀の知識人が抱いていた宇宙のイメージ。

しかしカントは19世紀に同じドイツ観念派のヘーゲルから批判される。カントは科学と哲学の両方を網羅する自然哲学者だったが、ヘーゲルはもっぱら歴史を扱う文系としての哲学者だった。自然哲学はヘーゲルにはほんの少ししかない。カント以後、ニュートンの万有引力が批判の俞上に上がることはほとんどなくなった。科学と哲学が分離してしまったことが最大の垟因だろう。筆者は何度かネット上の枲示板で哲学の重要性を主張したことがあるが、たいていは哲学を科学の下に置く見下した態度が返ってきただけだった。この反応は日本だけではない。しかし科学を科学足らしめているのは、科学史を振り返れば、哲学の存在であることは昞白だ。ニーチェは神は死んだと言ったが、ニュートンが巧妙に神を科学の中心に据えていたことはわからなかったようだ。科学の中心に隠れた神をあぶりだすのは、哲学の役目だが現在のネット時代においてもそのような哲学はどこにも見当たらない。

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人間が作ったものをどのように壊すことができるかを合理的に考察するのが破壊学です。現代科学にターゲット絞って考えています。 〞電気的地球科学』には、さらにくわしい解説があります。 このブログに書いてある内容を引用する場合は、出所を昞記してください。
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物理学を根本から考え直したBernard Burchell博士のオルタナティブフィジックスです。
科学史から見た量子力学の間違いには量子力学はどこで間違ったのかが考察されています。 アンドリュー・ホール氏のデイリープラズマでは山がどのようにしてできたかを詳細に考察しています。 日本人による相対性理論への疑問、現代科学のおかしな点をエッセイ風にまとめたページ。 物理の旅の道すがらはロシアの科学エッセイを日本語で読めます。

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