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科学の本当の歴史は失敗や誤りの連続で、異説が多数生まれた歴史でもある。しかし、現在ではこうした異説が科学史で触れられることはほとんどない。私たちは現在主流の科学理論がどのようにして成立してきたかをなぞるのが科学史であると考えている。
たとえば、ニュートンはバネの法則のフックとメル友で当時最新の天文学を教えてもらっていた。当時の天文学では惑星同士がなぜぶつからないかが大きな問題になっていた。デカルトは宇宙には力を伝える何か―エーテルが充満していて、惑星同士は互いに反発する力を生んでいると考えた。
ところが天文学の素人だったニュートンは、引力だけで惑星の運動を考えてしまった。引力を計算する数式はバネの法則から援用した。フックはプリンピキアをみて、ニュートンの盗用を訴えた。ところがほとんどの科学史ではこの部分が欠落していて、リンゴが落ちたから引力を発見したことになっている。
ニュートン自身も引力だけでは、肝心なところで惑星の公転は維持されないと知っていて、神の力が働いていると考えていた。引力と遠心力が釣り合った状態は剃刀の刃の上に乗っているようなきわめて不安定な状態だからだ。しかし、これも正当な科学史には残っていない。
ニュートンの万有引力にはドイツ科学界から批判があった。カントは「ニュートン氏の引力では将来宇宙は一つの塊になってしまう」と指摘した。きわめて合理的な批判だった。ところが、現在のほとんどの人は引力と遠心力のつり合いを素朴に信じている。科学は17世紀よりも後退している。
ニュートンの万有引力が批判されなくなったのは、18世紀末にキャベンディッシュの実験があった後だ。160キロと700gの鉛の玉が互いに発生させる引力で引き合う力をキャベンディッシュは測定した。地球の比重を5.4であると示した。プリンピキアの引力は物の量に比例する、を証明したとされた。
キャベンディッシュの実験は現在の地球科学の基本である、地球内部の構造が推定される重要な要素になっている。ところが半世紀後の19世紀中ごろにファラデーは鉛が反磁性体であることを発見する。鉛同士を近づけると互いに作用するのだ。このことはほとんどの科学史で無視されている。
万有引力の瑕疵は意図的に無視されたまま、地球科学の基礎が構築された。相対性理論もそのうえに考えられた。いまでは誰も万有引力を疑わない。ニーチェは神は死んだと言ったが、ニュートンによって現代科学の奥深くに神は隠されている。科学が宗教的信仰と同じ態度を受けるのはそのためなのだろう。