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元旦早々、Xにポストした地震予想が当たってしまった。
https://twitter.com/520chain/status/1741617770339725732
現在地球は太陽に最も近く、影響を受けやすくなっている。そこにXクラスのフレアが発生した。地震が起きた時点で、月はちょうど日本の裏側にあった。月はマイナスの電荷を持つので、地殻内部から電子を押し出す働きがある。また天気も曇りだった。
今回の地震で特徴的なことは、M7.5の本震の直前4分前にM5.5の前震があったことだ。
8分後にもM6.2が起きている。その後20分以上たってから余震が始まる。最初の3つの地震は、特別な関係があるのだろうか?電気的地球科学では地震のきっかけは宇宙線であると予想している。超高エネルギー宇宙線が空気シャワーをばらまいて、ニュートリノあるいはミュー粒子が地殻に浸透する。岩石に溜まっていた電荷がイオン化され、放電が起きる、という仕組みだ。4分、8分という時間差は、宇宙線によるトリガーが働き出すための時間なのだろうか?
Hi-netによれば、余震は能登半島にある断層沿いに分布している。いずれも深さが10km~70km程度だ。これはその下にあるマグマ層の上で余震が起きていることになる。分極がかなり深く広範囲に及んでいるためだ。
本震の波形はP波が目立っていない。これは本震の振動が大きいため、最初の放電の衝撃が見えにくいからだろう。
能登半島の海底には砂岩、泥岩と言った堆積岩が広がっている。余震は佐渡まで広がっているが、同じ地層が続いているからかもしれない。今回の地震は余震が長く続く可能性が出てきた。熊本地震と同じように数か月続くかもしれない。熊本地震と共通しているのは、日本列島周辺で地球膨張がまだ収まっていない地域だからだ。
科学ってなんでしょう?教科書に載っている、偉い先生が言っていることが科学だと思っている人がほとんどだと思います。なかには再現性があることが科学だと主張する人もいますが、ビッグバンは再現できません。歴史上、科学とは何かについていくつかの議論がありました。
ポパーは反証可能な説が科学的であると主張しました。たとえば、光速度は一定であるとする相対性理論に関しては光速度が変化することを示せば、反証となるので、相対性理論は科学的だとされます。しかし、反証しても社会的に無視されることが続いています。
クーンは科学とは科学者集団が共有したイメージであると主張しました。クーンにとって科学的であることは社会的に認められた学説です。この学説に例外が増えてくるとイメージ全体が覆される科学革命が起きます。しかし、クーンの科学革命も社会的に操作可能な恣意的な主張です。
また、最近では科学的であるとは数式で表すことが出来て、定量的に推測できることだとする人もいます。数式を根拠に推測したことを科学的であるとする傾向もみられます。ビッグバン宇宙論や量子力学がこれに当たります。
しかし、ビッグバンを証明しているとされる赤方偏移、宇宙背景放射は全く違う解釈も存在します。量子力学は1個の粒子を統計的に扱うという間違いを犯しています。量子力学が多くの現象を予測できているのは統計力学の手法によるもので、原子の構造とはあまり関係ありません。
じつは17世紀の科学革命では機械的世界観が科学を推進する原動力になっていました。デカルトは自然現象が機械時計のように物と物が組み合わさることで起きていると主張しました。デカルトの機械的世界観には、遠隔作用より近接作用を用いるべきとする主張が含まれていました。
また、現象を考察して単純な作用に分解できるという還元主義も含まれています。還元主義は現在の科学でも重要な役割を果たしています。ところが、還元主義に対して、数式が自然を支配するというピタゴラス主義が現在の科学では優勢です。
ピタゴラス主義とは古代ギリシアで誕生したピタゴラス教団が掲げていた、自然は数学で成り立っているとする宗教的思想です。ブラックホールを主張する重力方程式、量子力学のシュレディンガー方程式がピタゴラス主義の典型です。
ピタゴラス主義の恐ろしいところは、ほとんどの科学者が意識することなく、数式を実在と混同している点です。場(field)はピタゴラス主義を象徴する概念です。場が誕生したのはマックスウェルがファラデーやアンペールの発見した電磁気を10いくつかの数式に直すときでした。
このとき、電磁気力の伝搬を熱と同じようにマクスウェルは考えていました。また、当時は電磁気力が伝わるには、遠隔作用ではまずいのでエーテルという力を伝える液体に様なものが空間に充満していると考える場合がありました
ところがエーテルはいくら探しても見つかりません。19世紀末にマイケルソン・モーリーの実験が行われ、エーテルの存在は否定されました。そこで、注目されたのがマックスウェルの場だったのです。場はそれまでの物理学の概念とは異なり、言葉でイメージすることが難しかったのです。
場は数式でしか表現できない非常に抽象的な概念です。しかもエーテルを含まず、遠隔作用でもない。このことが20世紀初頭に物理学者に受け入れられたわけです。19世紀にはピグマリオン症候群という、数式で表された自然現象よりも美しい数式をありがたがる傾向が非常に強くありました。
ピグマリオン症候群は20世紀になってもピタゴラス主義と共に多くの物理学者を支配していました。核分裂のエネルギーは当初、分裂した核断片が互いの電気的反発力で飛び去って行く運動エネルギーで計算されていましたが、アインシュタインがE=mc^2を主張するとE=mc^2が使われるようになりました。
マックスウェルが場を考えていた時、まだ電子は発見されていませんでした。ファラデーも電磁誘導で力線を考えていた時電子のことは知りませんでした。マックスウェルの電磁方程式では
電場の変化ー>磁場の発生
磁場の変化ー>電場の発生
となります。
しかし、電子が存在するとなると
磁場の変化→電子の移動→電場の変化
とするべきです。場は電子に置き換えられるはずですが、現在も残っています。
この点において、現在の物理学は19世紀から何も進んでいないと言えます。むしろ、17世紀にデカルトが主張した機械的世界観から大きく後退しています。
最初に戻って何が科学であるかと言えば、デカルトの機械的世界観が科学です。自然現象を単純な物にまで還元して、物を操作すれば自然を操作できる。これが科学の神髄です。現在の科学は一度分解して、機械的世界観の元に再構築することが必要なのです。
科学の本当の歴史は失敗や誤りの連続で、異説が多数生まれた歴史でもある。しかし、現在ではこうした異説が科学史で触れられることはほとんどない。私たちは現在主流の科学理論がどのようにして成立してきたかをなぞるのが科学史であると考えている。
たとえば、ニュートンはバネの法則のフックとメル友で当時最新の天文学を教えてもらっていた。当時の天文学では惑星同士がなぜぶつからないかが大きな問題になっていた。デカルトは宇宙には力を伝える何か―エーテルが充満していて、惑星同士は互いに反発する力を生んでいると考えた。
ところが天文学の素人だったニュートンは、引力だけで惑星の運動を考えてしまった。引力を計算する数式はバネの法則から援用した。フックはプリンピキアをみて、ニュートンの盗用を訴えた。ところがほとんどの科学史ではこの部分が欠落していて、リンゴが落ちたから引力を発見したことになっている。
ニュートン自身も引力だけでは、肝心なところで惑星の公転は維持されないと知っていて、神の力が働いていると考えていた。引力と遠心力が釣り合った状態は剃刀の刃の上に乗っているようなきわめて不安定な状態だからだ。しかし、これも正当な科学史には残っていない。
ニュートンの万有引力にはドイツ科学界から批判があった。カントは「ニュートン氏の引力では将来宇宙は一つの塊になってしまう」と指摘した。きわめて合理的な批判だった。ところが、現在のほとんどの人は引力と遠心力のつり合いを素朴に信じている。科学は17世紀よりも後退している。
ニュートンの万有引力が批判されなくなったのは、18世紀末にキャベンディッシュの実験があった後だ。160キロと700gの鉛の玉が互いに発生させる引力で引き合う力をキャベンディッシュは測定した。地球の比重を5.4であると示した。プリンピキアの引力は物の量に比例する、を証明したとされた。
キャベンディッシュの実験は現在の地球科学の基本である、地球内部の構造が推定される重要な要素になっている。ところが半世紀後の19世紀中ごろにファラデーは鉛が反磁性体であることを発見する。鉛同士を近づけると互いに作用するのだ。このことはほとんどの科学史で無視されている。
万有引力の瑕疵は意図的に無視されたまま、地球科学の基礎が構築された。相対性理論もそのうえに考えられた。いまでは誰も万有引力を疑わない。ニーチェは神は死んだと言ったが、ニュートンによって現代科学の奥深くに神は隠されている。科学が宗教的信仰と同じ態度を受けるのはそのためなのだろう。
以前から、CO2はミューオン触媒核融合でO2とN2に変換されると主張している。CO2はマントルの主成分であるカンラン石とメタンの反応により発生するが、O2とN2は地表で変換されていると考えてきた。しかし、CO2をタンクに溜めておいてもO2やN2が発生したという話は聞いたことがない。そこで考えられるのは海水中で変換されているのではないかと予想してみた。
溶存酸素濃度は極に行くほど高くなる。一般には海中での植物性プランクトンが光合成でCO2からO2を作っているとされる。しかし、光合成は太陽光の当たらない夜間は起きずに、逆にCO2を排出することがわかっている。ここでも植物による光合成は酸素を増やすことはない。ましてや太陽光の少ない極地方での酸素濃度が高いのは、光合成では説明できない。
さらに鉛直方向では1000mより浅い部分での酸素濃度が高い。海中に太陽光が届くのはせいぜい数十メートルなので、これも光合成を否定する要因だ。ミューオンは地下1000m以上に到達していることがカミオカンデの観測でもわかっている。
そこで、宇宙線の濃度を見ると、極地方ほど高いことがわかる。宇宙線が多く降ってくるとミューオンも多いことになる。海水中のチッソも南極周辺で多いことが観測されている。おそらく北極海でも多いだろう。
以上のことから、二酸化炭素は海水に吸収されるが、海水中でミューオン触媒核融合により酸素と窒素に変換されている。
最近見つけた興味深い動画がこれ。
立方体の磁石をモーターで高速回転させると、対象にした磁石が浮かんでくると言うものだ。原理はいたって簡単で、磁石の引力と反発力が作用するとき、磁石自体の持つモーメントが働き、引力・反発力が作用して動き出す前に極性が反転してしまうので、ある一定の距離と角度で磁石が浮遊すると言うもの。
これを見ていてひらめいたのは、原子核の回転だ。原子核はプラスの陽子とマイナスの中間子から構成される。これまでは電気引力・斥力で緩くつながれた状態を予想していた。しかし、原子核が回転しているとすると双極子なので磁場が発生する。目まぐるしく変わる磁場により、軌道上の電子は複雑な軌道を描くはずだ。電気引力・斥力に加え、原子核の磁場が軌道電子を維持している。