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破壊学とは何かから始めなくてはならない。一言で言えば、破壊学とは人間が作ったものを破壊する方法を追求する学問だ。破壊といえば、テロであるとか、犯罪の範疇ではないかと考えるかもしれない。しかし破壊する方法を事前に知ることで、破局的事故の起こる可能性を低くすることが可能なはずである。
同じような目的を持つ失敗学がある。失敗学とは「起こってしまった失敗に対し、責任追及のみに終始せず、( 物理的・個人的な) 直接原因と (背景的・組織的な) 根幹原因を究明する学問のこと。 失敗に学び、同じ愚を繰り返さないようにするにはどうすればいいかを考える」ことだ。
失敗学は、航空機事故、交通事故、産業事故などで多くの功績を上げてきたらしい。比較的小さな影響しか与えない事象では、失敗学は非常に有効な手段であるといえるかもしれない。しかしながら、3.11のような原子力災害を含む破局的事故に関して、失敗学は有効な手段といえるだろうか? 一度起きただけで十分人類に対する非常に大きな影響を与える(人類滅亡も含めて)事象に関しては、失敗学は「後の祭り」になるだけであることがはっきりした。
事故が起きる以前に、事故を予想することは非常に難しい。原子力発電所のような政治的影響の極めて大きい施設では、事故を予想して対策を立てることさえ、政治的に制限されていたことがわかってきた。「メルトダウンはありえないから、メルトダウンした後の対策は建てない」といった具合だ。また、極めて確率が低いという理由で対策しないという例もあった。
参考 「失敗学批判」(横浜国大名誉教授 清水久二)
破壊学では、自然災害による影響、人為的影響の区別なく、どのようにすれば構造物、システム、ネットワークなどを破壊できるかを追求するので、最初から政治的バイアスの入り込む余地が排除されている。純粋に合理的思考が機能できるのである。
破壊学が有効な手段となり得るのは、次のような場合が考えられる。
軌道エレベータの建設に伴うリスク判断
宇宙発電所からの送電経路の事故予測
電離層加熱に関する影響
大深度掘削に伴う断層、マグマへの影響
あまり詳しく書くと危険なので、書かないが、例えば対立している国の人口を減らしたい場合、検出できない微量の物質、あるいは検出しても危険性の分からない物質を食品などに混ぜて、相手国に輸出する方法もある。破壊学では、従来は起きてからしかわからなかった危険性についても、あらかじめ予測しておくことが可能になる。