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「シガテラ」最終回
June 9th, 2005「ヤングマガジン」で連載中だった「シガテラ」(古谷実)が終わった。稲中卓球部からファンになり、この連載も欠かさずに読んでいた。高校生の主人公が巻き込まれていく非日常的な内容を、良くここまで続けることができたかと思ったら、最終話は、至極普通の内容になっていた。フツウの話として終わることが、マンガでは異常なことに気づくと、この最終話もまた別な意味を持ってくる。
最終話のタイトルは「大人」。それまでの非日常的な内容を青春の一言で片付けることは無理なことだとわかっている。それでもあえて「大人」とタイトルを付けたのは、うがった見方をすれば、読者への警告ともとれる。主人公の徹底した主体性のなさは、本人も自覚していることであって、周囲に流されて、さまざまないざこざに巻き込まれていくのを読者は、高みから見下ろすように読んできた。自分なら、こんな主体性を持たない行動はしないだろう。読者は主人公が翻弄される姿を、自分はそうならないと言う優越感を持って読み進める。
物語の3分の2辺りから、ストーリーは少し変化した。美人の彼女ができる。いくつかのエピソードはあるが、最終話まで主人公は彼女を最愛の人と確信する。それが最終話では、すでに別れていて、別の彼女とつき合っている。「確信」は数年の歳月の内に風化しているのである。ここで、青春は風化することで皆大人になっていくのだ、と誤解してはいけないだろう。
最終話での主人公は、いつしか会社員になっていて、きわめてフツウの人生を送っているように見える。ここで読者と主人公は同じ日常の上にいることに気がつく。しかし、じつは古谷は、読者に皮肉とも言えるメッセージを投げているのだ。主人公が送るフツウの生活に退屈さを感じている読者の普通さこそ、つまらないのではないのかと。主人公はドカティを買うことを彼女に告げる。ドカティに託された非日常へのあこがれを読者は共感として受け取るであろうことを、古谷は知っている。
オレならドカティは買わない。KTMの06だな。たぶん最後の2st125を買う。